突然ですが。占いませんよ。
「同級生」
「後輩を持つ先輩」
「同僚」
「部下を持つ上司」
「社員をまとめる社長」
自分より「下」の立場の人、自分より「劣っている」と見下している人、周りと比べて「変わっている」と馬鹿にする人。
言い返してこないのをいいことに、好き放題したり、言ったり、してないですか?
そんな自分より「弱い(勘違い)」と感じる人に対して、いじりって、してないですか?
「いじり」は、している側の勘違い
「いじり」を行っている側は、わからないのです。
その行為が既に「いじめ」であることに気づきましょう。
相手が「嫌な気持ち」になっている時点で、それは「いじめ」です。
学生編
自分の方が優れていると勘違いしている生徒が、学校で面白いリアクションをする同級生を標的に「いじり」をします。
彼はテレビで観て楽しかった番組を思い出し、テレビで観た事を同じように、その同級生にします。
それを見ていた周囲の同級生は、面白いリアクションをする同級生を見て大笑いをします。
「いじり」をされた同級生は、耐えがたい苦痛を味わっています。
「笑わそう」とはしていないにも関わらず、苦痛に悶絶する姿を笑われ、誰一人その同級生を助けることなく周囲の全員が敵です。
テレビで観た事と同じことをした生徒はウケた事に味を占め、その同級生に対する「いじり」がエスカレートしていきます。
周囲の人は自分に矛先が向かうのが怖いため、当然、いじられている同級生の味方にはなりません。
すでに始まっていました。「いじめ」です。
社会人編
職場や、会社のイベントで上司が自分より立場が下の部下を「いじり」ます。
場を盛りあげようと「いじり」を行います。
周囲の人は「面白くて笑う人」「面白くないけど笑わなければいけない人」です。
頭のよろしくない上司から見ると、皆「笑っている人」です。
周囲が笑ってくれる事と、自分の力で周囲を笑わせることができた、という勘違いによって快感を覚えた上司はエスカレートします。
部下に対し「言ってはいけない言葉」を言ってみたり「言ってはいけない内情」を周囲に暴露を始めたり、小学生のような悪ふざけをして笑いものにします。
自己顕示欲が暴走している状態です。
頭がよろしくないので、自分の精神状態を客観的に判断が出来なくなっています。
部下は例え、はらわたが煮えくり返るほど「いじられ」ても反論することは許されません。
相手は頭のよろしくない、立場が上の上司です。
ここで反発したり、反論すると後でどんな仕打ちが待っているか、わかっているからです。
社会人だと「仕事を教えて貰えなくなる・必要以上に、そして理不尽に叱責される・部署内で仲間外れにされる・名前すら呼ばれなくなる・陰口や悪口の標的にされる。」等々
すでに始まっていました。大人の「いじめ」です。
いじりが与える影響
どちらにせよ「された側」は、著しく精神を病み、様々な肉体的精神的苦痛を感じていることでしょう。
思い悩み寝れなくなる、食欲がなくなる、身体のあらゆる場所が不調をきたす、終日思い悩む、うつ状態に陥る。
「された側」は、このような状態にあっても耐え忍ぶ、耐え忍ばなければならないのです。
誰にも相談はできません。
しません。
なぜなら自分の大切な人たちに心配と迷惑をかけたくないからです。
心配をかけるぐらいなら、我慢します。
すごく強く思いやりがあるからです。
今の世の中では、こういった「優しい人」がターゲットにされる傾向にあると感じます。
テレビがもたらした勘違い
この勘違いはテレビジョンに起因する面も多くあるように感じます。
最近でこそ、社会情勢的に厳しくなり過激な内容は減ってきたものの「お笑い芸人」の存在は大きいと思います。
彼らは「プロ」です。
厳しい下積みや、修行を経て「痛みや罵詈雑言」を笑いに変えることができる。
それが彼らの仕事のひとつです。
「痛みや罵詈雑言」をお金に変えることが仕事としてできるトレーニングをこなしてきたのです。
いいですか?わかりますか?
彼らは「プロ」です。
「ボケ」と「つっこみ」で計算しつくされたコント・台本を作っています。
これは突発的に始まるものではなく「台本」があり、つっこむ側も「叩きどころ」を心得ています。
ボケる側も叩かれるほうに頭や身体を向け、つっこまれやすい体勢をとっています。
いいですか?
何度も言います。
彼らは「プロ」なのです。
自分の立場や地位を利用して、突発的に笑いを取ろうとする「あなた」
あなたは「素人」です。
そしていじられる側も「素人」です。
なぜ笑いが生まれるか、わかりましたか?
周囲は「次のいじめられる側」になりたくないから笑っていますよ。
テレビや舞台に立ち、お金をもらう「プロ」のいじりには、厳しい下積みで培った瞬発力や、練り上げれれた台本があり「笑うor笑わない」の選択権は
「観客」
にあります。
しかし、我々「素人」の行うことは「いじめ」となり「笑わない選択」をすること=「次の標的になる可能性」がでてきます。
すると必然的に「笑う」しかなくなるわけです。
選択権は与えられていません。
まとめ
周囲の人が笑っているのは、「あなた」の実力ではないのです。
している側は自分に陶酔している傾向が強く見られます。
いい加減、気づきましょう。
あなたがしていることは「いじめ」であることに。
そして、心当たりのある方は気を付けましょう。
あなたがしていることは「他人の人生」を狂わせています。
現時点でいじめに合っている人は「証拠」をしっかりとっておきましょう。
スマホのボイスレコーダーでもいいし、誰かに撮影してもらってもいいでしょう。
後々、絶対に役に立ちます。
最近、度が過ぎる「いじめ」のニュースが目立つので、思ったことを書いてみました。
頼りになるはずの「学校の先生」でさえ「見て見ぬふり」をする人が多いようです。
学校の先生。
あなたは何のために先生になりましたか?
挨拶ができない先生、人を見下している先生、人の意見を聞けない先生。
そんなあなたが子供に教えられることってなんですか?
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